< 家族関係の難しさ(3) > (2007-8-4)

こんにちは

 前回は、家族関係はもともと不合理に成立したものであり、そこへ一般社会の合理性を持ち込もうとすると、うまくいかなくなるのではないか、という問題提起をしました。

 今回その理由についての考えをお話します。

 家族関係というのは、一般社会の人間関係とは区別された特別なものです。

 どのように特別であるかは、それそれ家族によって違うので、一義的にいうのが難しいのですが、

 わかりやすくするのため、あえて狭く言ってしまうと、一般社会が相互利用によって成り立つ人間関係であるとすれば、家族関係は、特別な信頼による安心が約束された関係であると考えています。

 つまり、いつまでもお互いがお互いを裏切らずに、味方であり続け、そのことが絶対的な安心感、心地よさをもたらす関係であるともいえます。



 たとえば、60歳近い親と30過ぎた息子がいたとして、その息子が仕事が見つからなくて家でぶらぶらしていたとしたら、親としては

「30過ぎて、まだ、親のすねをかじって、それでいいと思ってるのか!」

「お前は、最低だ。いいかげんに働けよ、馬鹿」

とか、いいたくなると思います。

 確かに正しい。

 実際、親の立場としては、つらいでしょうし、苦しいことも多いでしょう。

 30過ぎて、働かないで、親の世話になっているようなことは、まあ、よくないですよ。

 でも、そういう状態であれば、おそらく、周りから「バカ」とか「クズ」とか散々ひどいことを言われ続けているわけですよ。

 そういう一般社会で人から言われるような説教なり侮辱を家でもいわれ続けるとすれば、じゃあ、社会も家庭も同じ空間、別に特別な関係じゃなく、一般社会と変わりないことになります。家族と一般人とどう違うの?



 正しいか間違いか、良いか悪いか、社会で生きていけば、どのみちうんざりするほど問われるわけですよ。

 それを、家族の中でも問われ続けるとしたら、いったい、どこで休まればいいのだろう、ということにはならないでしょうか。

 もちろん、それは、甘えの一種であります。

 しかし、甘えも許さないし、清く、正しく、厳しくあれ、というのであれば、何のために家族が家族でいるのか、その存在理由は何なのでしょう?

 先ほどの親子の例でいえば、一般社会の常識を持ち出して説教すればするほど、家族の関係を破壊していくだけの効果しかなく、たぶん、状況がぜんぜん良くならないことが多いと思われます。残念ながら、良い悪いという論法は、家族関係にとっては、よい結果をもたらすことが少ないのです。

 「家族は特別」ということに意味があるわけで、一般社会の規範で家族関係を律することは、そのまま家族関係を無意味にしてしまう。

 だから、家族の問題は難しくなるのです。

 極論すれば、一般社会の常識が通用しない非常識な空間であるということ、それが家族という特別な人間関係であるということです。

 では、どのように対処したらよいのか?

 正直、私にもわからないことが多すぎるのですが、

 そのあたりを次回に考えてみたいと思います。

ではまた

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 家族関係の難しさ